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神戸地方裁判所 昭和52年(ワ)260号 判決 1995年6月09日

原告兼承継前原告亡片岡和彦訴訟承継人

片岡喜彦

片岡和子

右両名訴訟代理人弁護士

松重君予

麻田光広

中東孝

赤松範夫

在間秀和

被告

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

本多重夫

外四名

被告

神戸大学教職員組合

右代表者中央執行委員長

和田進

右訴訟代理人弁護士

小牧英夫

山崎満幾美

前哲夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの各請求

一  被告らは、原告兼承継前原告片岡和彦(以下「亡和彦」という。)訴訟承継人片岡喜彦(以下「原告喜彦」という。)に対し、各自、金一九八〇万円及び内金一八〇〇万円に対して被告国については昭和五二年三月一七日から、被告神戸大学教職員組合(以下「被告組合」という。)については同月一八日から、内金一八〇万円に対して平成七年六月一〇日(本判決言渡日の翌日)から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告兼亡和彦訴訟承継人片岡和子(以下「原告和子」という。)に対し、各自、金一九八〇万円及び内金一八〇〇万円に対して被告国については昭和五二年三月一七日から、被告組合については同月一八日から、内金一八〇万円に対して平成七年六月一〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、保育室内でうつぶせ寝によって睡眠していた亡和彦(生後八三日目の乳児)が仮死状態に陥るという事故が発生したため、保母に過失があったとして、亡和彦とその両親が原告となり(ただし、亡和彦は本訴提起後に死亡したため、右両親が相続により訴訟を承継。)、被告国に対しては国家賠償法二条又は民法七一五条一項又は同法四一五条に基づき、また、被告組合に対しては同法七一五条二項に基づき、要旨次の内容の損害賠償を請求したという事案である。

1  亡和彦の死亡による逸失利益

金三〇〇〇万円

(相続により、右金額の二分の一の金一五〇〇万円宛)

2  原告ら固有の慰謝料

各金三〇〇万円

3  弁護士費用 各金一八〇万円

二  前提となる争いのない事実など

1  (当事者)

(一)(1) 亡和彦は、昭和五一年一月二〇日、原告喜彦及び原告和子の長男として出生し、同年三月三日、国立神戸大学医学部附属病院(神戸市中央区〔当時は生田区〕楠町七丁目一三番)所在。以下、国立神戸大学を「神大」、同医学部附属病院を「神大病院」という。)構内に所在する通称「はとぽっぽ保育所」(以下「本件保育所」という。)に入所し、保育を受けていたが、同年四月一三日午後一時二五分頃、同保育所保育室内において、うつぶせ寝による睡眠中に仮死状態で発見された(以下、亡和彦が右仮死状態に陥った事故を「本件事故」という。)(以上の各事実は、原告らと被告組合との間では争いがない。被告国との間では亡和彦の入所年月日及び本件事故の発見状況に関する事実を除いて争いがなく、右事実については甲四九号証、乙一四、一五号証、証人土本富佐江、同稲田繁美、同森弘子、同佐藤扶美枝、同横山純好の各証言及び原告片岡和子の本人尋問の結果によってこれを認める。)。

(2) そして、亡和彦は、神大病院小児科に運ばれ、同年九月二七日まで同病院に入院して治療を受け、さらに、同日から昭和五二年一月三一日まで国立鳥取大学医学部附属病院に入院して治療を受けたが、無酸素性脳症による後遺障害を残し、その後、同年二月三日から国立青野原療養所に収容されて治療を受けていたところ、重度の知能障害、四肢麻痺、嚥下障害、視覚聴力障害等が残り、同年四月一五日、窒息によって、死亡するに至った(原告らと被告国との間では以上の全事実について争いがない。被告組合との間では国立鳥取大学医学部附属病院及び国立青野原療養所における各治療経緯に関する事実を除いて争いがなく、右事実については、甲三五、四八、四九号証、証人吉野邦夫の証言及び原告片岡和子の本人尋問の結果によってこれを認める。)。

(二) 被告国は、国立学校設置法二条、三条に基づき、神大医学部を設置し、その附属教育研究施設として、神大病院を設置している(全当事者間に争いがない。)。

(三) 被告組合は、神大に勤務する教職員によって組織されている労働組合である(全当事者間に争いがない。)。

2  (本件保育所の保育態勢と施設の構造)

(一) 本件保育所は、本件事故当時、零歳児を保育する保育所(以下「第一保育所」という。)と満一歳児以上を保育する保育所の二つの保育所から成っており、それぞれ専任の担当保母が数名ずつ配置されていた。

また、保育時間は、通常、午前八時少し前頃の入所時から午後五時頃の退所時までの間とされていた。

(二) そして、零歳児は、本件事故当時、一三名が入所しており、出生後間近い順に、ひよこ組、りす組及びうさぎ組の三つの組に分かれていた。

ひよこ組に属する亡和彦ら五名については土本富佐江保母(以下「土本保母」という。)及び森本繁美保母(ただし、同女は、産休中の他の保母の代替要員であり、その後婚姻により稲田姓となる。以下「稲田保母」という。)が、りす組に属する五名については佐藤扶美枝保母(以下「佐藤保母」という。)及び森弘子保母(以下「森保母」という。)が、うさぎ組に属する三名については小垣登志子保母(以下「小垣保母」という。)がそれぞれ担当していた。

零歳児を担当する右五名の保母のうち、正規の保母資格を有するのは、小垣保母と森保母の二名だけであったが、本件事故当日については、小垣保母が欠勤したため、森保母がうさぎ組を担当することになった。

(三) また、第一保育所については、別紙図面記載のとおり、東側から西側へ順に二つの保育室(以下、東側の保育室を「保育室A」、西側の保育室を「保育室B」という。)と台所、保母室がそれぞれ配置されているところ、各部屋はそれぞれ壁で仕切られており(ただし、両保育室の間には幅約一間の出入口〔ガラス引戸〕が設けられている。)、保母室から各保育室へ行くには北側の廊下を通り、その廊下側の戸を開けて入らなければならない構造になっており、また、保母室から各保育室を直接見通せる構造にはなっていなかった。

(四) そして、本事故当時、前記ひよこ組及びりす組は保育室Aに、また、うさぎ組は保育室Bにそれぞれ割り当てられていた。

(原告らと被告組合との間では以上の全事実について争いがない。被告国との間では、(三)の事実については争いがなく、その余の事実については乙二、六号証、証人土本富佐江、同稲田繁美、同森弘子、同佐藤扶美枝の各証言及び原告片岡和子の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によってこれを認める。)

3  (本件事故当日の状況の概略)

(一) 本件事故当日(昭和五一年四月一三日)における亡和彦の担当保母が土本保母及び稲田保母の両名であったことは前記のとおりである。

(二) 原告和子は、右当時、神大病院外科外来に看護婦として勤務していたが、本件事故当日午前七時五〇分頃、亡和彦を伴って出勤し、同人を保育室Aに連れて行き、居合わせた佐藤保母に亡和彦を預けた後、職場に赴き、その後、午前一〇時過ぎ頃、保育室Aに出向き、約一〇分間にわたって同人に対し授乳を行った後、職場に戻った。

(三) 亡和彦は、その後の午前中の間、眠ったりしていたが、稲田保母は、午後零時三〇分頃、土本保母の指示により、亡和彦を散歩のために本件保育所外へ連れ出し、午後零時四五分頃、第一保育所に戻ったところ、同出入口の廊下付近で、土本保母から、亡和彦をうつぶせ寝で眠らせるよう指示を受けたため、保育室A内において、同人を布団の上にうつぶせ寝にしたが、一緒にいた佐藤保母から昼食を取ってくるように言われたため、午後零時五〇分頃、保母室へ行って食事を取った。

その際、佐藤保母は、それまでに自己の担当の乳児が寝付いたため、稲田保母に代わり、ぐずぐず言っている亡和彦を寝かせようとしたが、なかなか寝付かなかったため、今度は同人をあお向け寝にした後、午後一時頃、保母室前へ行き、同室内で保育連絡日誌をつけていた土本保母に対し、亡和彦がぐずぐず言って寝ない旨を伝え、昼食を取るために外出した。

(四) そこで、土本保母は、午後一時少し過ぎ頃、保育室Aへ行き、亡和彦をうつぶせ寝にしてやり、背中を叩いたりしながらしばらく付き添っていたところ、同人が眠ったため、午後一時五分頃、同人をそのままの状態にして同室を出て、保母室内で保育連絡日誌をつけ続けた。

(五) 稲田保母は、食事を終えた後、台所で洗い物をしていたところ、午後一時一五分頃、保育室Aから泣き声がしたため、同室内に入ると、亡和彦が泣いていたので、保母室に戻って土本保母にその旨を話すと、おしめが濡れていないかどうかを見てくるように言われたため、保育室A内に入って亡和彦のおしめの様子を調べたところ、濡れておらず、同人は首を左右に動かしており、うつぶせ寝の状態で眠り入りそうな様子であった。

(六) そこで、稲田保母は、保母室へ行って土本保母にその旨を伝えた後、台所で洗い物を続けた際、午後一時二〇分頃、保育室Aから再び泣き声がしたので、土本保母にその旨を伝えたところ、同保母から亡和彦が泣いていれば保母室へ連れてくるよう指示を受けたため、保育室Aの入口から同室内をのぞいてみると、亡和彦が泣いておらず、うつぶせ寝のままで眠っているような様子であったため、そのまま保母室に戻ってその旨を土本保母に伝え、その後しばらくの間台所で洗い物をし、これを終えて保母室に入った。

(七) その際、土本保母は、稲田保母と入れ替わるように保母室を出て、トイレへ行った後、午後一時二五分頃、亡和彦が眠っているかどうかを見るため、保育室A内に入ったところ、同人は顔を右向きにしてうつぶせになっていたが、右頬が青ざめていることを発見した。

(八) そこで、土本保母は、異常を感じ、直ちに亡和彦を抱き上げて保母室へ走って行き、在室していた稲田保母及び森保母に対し亡和彦の急変を伝えたところ、森保母は、保母室前の廊下の電話で、神大病院小児科の医師に対し連絡を取ろうとしたが果たせず、続いて、原告和子の職場に連絡を取り、同原告に対し、亡和彦の様子がおかしいのですぐに来て欲しい旨を伝えた後、同人をタオルケットにくるんで抱きかかえ、神大病院小児科外来へ向かい、その途中に出会った原告和子と一緒に同科外来へ赴き、午後一時三〇分頃から、同科横山純好医師(以下「横山医師」という。)による手当てがなされ、亡和彦は蘇生するに至った。

(九) なお、以上の間、森保母は、うさぎ組の乳児を寝かせ終えた後、午後一時頃、保母室に入り、その後は昼食を取ったりしながら本件事故発生時までの間同室内に在室していたが、佐藤保母は、前記のとおり外出しており、第一保育所に戻ったのは亡和彦が神大病院に運ばれた後の午後一時三〇分頃のことであった。

(原告らと被告組合との間では以上の事実の概略については争いがなく、被告国との間では、横山医師による手当てに関する事実について争いがない。そして、その余の事実については甲二九、三〇、四九号証、乙一四、一五号証、証人土本富佐江、同稲田繁美、同森弘子、同佐藤扶美枝、同横山純好の各証言、原告片岡和子の本人尋問の結果及び鑑定人谷栄一の鑑定結果並びに弁論の全趣旨によってこれを認める。)

三  主たる争点

1  本件事故の発生原因(機械的窒息か否か)

2  本件保育所の保母らの過失の有無

3  被告組合の責任

4  被告国の責任

5  原告らの損害額の算定

四  当事者の前記争点に関する主張

1  本件事故の発生原因(機械的窒息か否か)

(原告らの主張)

(一) 本件事故は、本件保育所の保母らが亡和彦に対しうつぶせ寝保育を行ったため、同人が鼻口部を閉塞され、窒息したことによって生じたものである。

亡和彦は、本件事故当時、未だ首が座っていなかったため、自力で頭部を挙上することができない状態にあったところ、柔らかい寝具上にうつぶせ寝にした結果、鼻口部が寝具等によって閉塞されて窒息する(以下、これを「機械的窒息」という。)に至ったのである。

(二) 被告ら主張の乳幼児突然死症候群(SIDS。以下「SIDS」という。)あるいはニアミス(不全型ないし未然型)SIDSというのは、他の傷病名に該当しない場合の除外診断名にすぎず、一義的な定義がされ得ないものであるところ、本件事故の発生原因については機械的窒息によるものであるとの認定ができるから、被告らの主張は理由がない。

本件の鑑定人宮田雄祐(以下「宮田鑑定人」という。)は、亡和彦の本件事故後の臨床症状につき、無呼吸発作の反復がみられない点及び心停止を来して重篤な後遺障害を残した点において、ニアミスSIDSの重要な特徴とは異なる旨を指摘しているのであるから、本件事故の発生原因について、安易に、内容の不明確なニアミスSIDSとの認定をすることは許されない。

(三) なお、亡和彦は、国立青野原療養所に収容中に、おじやを食べていた際に誤嚥によって窒息死したのであるが、右死亡は、本件事故によって生じた無酸素性脳症による後遺障害の一つである嚥下障害に基づいて惹起されたのであるから、本件事故との間に因果関係のあることは明らかである。

(被告らの反論)

(一) 本件事故は、原告ら主張のような機械的窒息によって生じたものではなく、いわゆるニアミスSIDSによって生じた可能性が極めて高いと考えるのが相当である。

そして、ニアミスSIDSとは、一般に、「それまでの健康状態及び既往歴から、その発生が予測できなかった乳幼児が、突然の死亡をもたらし得るような徐脈、不整脈、無呼吸、チアノーゼなどの状態で発見され、死に至らなかった症例」と定義されている。

我が国においても、これまで、乳幼児の突然死についてはその多くが機械的窒息によるものとして取り扱われてきたが、最近では、我が国の内外における調査、研究結果に基づき、機械的窒息とされてきた症例の中にはSIDSが含まれていたのではないかとする指摘がされてきている。

(二)(1) そして、本件においては、亡和彦は、本件事故当時、生後八三日目(出産予定日による修正月齢では三か月と一二日ということになる。)であり、首がしっかりと座っていたし、保育室A内において同人が寝ていた寝具については、敷布団は使い古された固めのもの(厚さは中央の厚いところで約三センチメートルくらいのもの。)であり、ガーゼの肌かけ布団一枚(厚さ約七ミリメートル)と毛布一枚(厚さ約五ミリメートル)がかけられ、洋タオル一本を二つ折りにして枕代わりに使用されていたのであって、これら寝具が同人の鼻口部を閉塞するような状態にはなかったから、同人が鼻口部を閉塞されて窒息するということは考えられない。

また、亡和彦が本件事故直後に発見されたときには、同人は右頬を上にして顔を右向きにしており、しかも、顔の下に置かれていた洋タオルは全く乱れていなかったことや同人が母乳を吐いた形跡がなかったことからすると、同人が機械的窒息に陥ったとは考えられない。

(2) 一般的に考えてみても、乳児の首の座りの発達基準については、生後一か月くらいで寝ているときに自由に顔を左右に向けることができ、二か月くらいでうつぶせ寝状態から顔を上げることができ、さらに、三か月くらいでうつぶせ寝状態から頭を三〇度以上挙上できるようになるとされており、亡和彦は、本件事故当時における前記発育状況からみて、うつぶせ寝状態から頭を三〇度以上挙上することができたから、同人が原告ら主張のように鼻口部を閉塞されたままで窒息状態になることはあり得ない。

(3) さらに、神大病院小児科の横山医師は、仮死状態にあった亡和彦を最初に診察し、その蘇生に成功した主治医であるが、同医師は、亡和彦の入院カルテの診断名欄に「SIDSの疑」との記載をしているのである。

なお、宮田鑑定人は、原告らの主張どおり亡和彦の本件事故後の臨床症状につき、無呼吸発作の反復がみられない点及び心停止を来して重篤な後遺障害を残した点において、ニアミスSIDSの重要な特徴とは異なる旨を指摘しているが、ニアミスSIDSの症例に関する我が国の内外の報告によると、無呼吸発作の反復の認められない症例や蘇生後に重篤な低酸素状態に陥った症例が報告されているし、そもそも、亡和彦については、発見後まもなく人口呼吸器を装着されていたのであるから、それがなければ無呼吸発作を繰り返していたかもしれないし、また、心停止の状態にまで達していたものの、その後の救命措置が適切であったために死亡するに至らなかったのであり、右措置がなければ、蘇生に成功せずにそのまま死亡し、そのためにSIDSということにされたかもしれないのであって、同鑑定人の右指摘には多大の疑問があり、信用できない。

(三) 以上のとおり、本件事故は、機械的窒息によるものとは考えられず、ニアミスSIDSによる可能性が極めて高いというべきである。

(四) なお、亡和彦のその後の死亡については、直接死因とされた「窒息」の原因としては「誤嚥の疑」とされているにすぎないから、右死因が何であったかについては不明なところがあるし、また、国立青野原療養所の職員が、前記鳥取大学医学部附属病院の担当医師からの申し送り事項を適切に遵守していれば、右窒息を防ぎ得た可能性があるから、右死亡と本件事故との間に因果関係があるといえるかどうかは疑問である。

2  本件保育所の保母らの過失の有無

(原告らの主張)

(一) うつぶせ寝によって機械的窒息に陥らせた過失

(1) 本件保育所では、本件事故当時、乳児の発達や頭の形を良くするなどの理由から、入所した乳児に対してうつぶせ寝保育を行っていたが、右当時でさえ、うつぶせ寝保育を行うためには、①マットないしこれに準じた薄めで固い布団を使用すること、②早くとも生後三か月以上の首の座った乳児に対して行うこと、③継続的な監視を行うこと、の三条件が満たされるべきであるとされており、これらの条件が整わない限り、うつぶせ寝保育を行うことは危険である旨指摘されていた。

にもかかわらず、本件保育所の保母らは、乳児の両親ら保護者に対し、うつぶせ寝保育を行うことの説明を行い、その同意を得るという手続を取らなかったばかりか、右三条件が全く具備しない条件下で同保育を続けており、しかも、保母間ではうつぶせ寝保育の実施の在り方について意思統一がされていない状態にあった。

すなわち、亡和彦が寝かされていた布団は柔らかいものであったし、同人は本件事故当時未だ首が座っておらず、しかも、前記のとおり保母室から保育室内を直接見通せる構造になかったにもかかわらず、保育室内には保母が常駐せず、数分間にわたって不在にするなど乳児に対する監視が十分でない状態で、うつぶせ寝保育を実施していたのであり、また、佐藤保母においては、本件事故当日、前記のとおりうつぶせ寝にされていた亡和彦をいったんあお向け寝に変えたりしたのである。

(2) したがって、本件保育所の保母らは、右三条件が具備されていない以上、うつぶせ寝保育を行ってはならない注意義務があったし、少なくとも十分な監視を行うべきであったにもかかわらず、これを怠り、前記のとおり亡和彦をうつぶせ寝状態のままでひとりにして放置した過失によって、同人を鼻口部閉塞によって機械的窒息に陥らせたのである。

(二) 本件事故発生後の応急措置実施上の過失

本件保育所の保母らは、本件事故の発生を知った直後、呼吸停止状態に陥っていた亡和彦について、応急措置として、直ちに、同人を蘇生させるよう蘇生術を行うか、あるいは症状悪化を防ぐために神大病院の医師のともへ連れて行くべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠って原告和子に連絡することのみを優先させ、同原告の職場に電話して亡和彦の様子がおかしい旨を伝えたにとどまり、その結果、同人を仮死状態に陥らせたから、保母らの右過失は、亡和彦の障害をより重篤なものにした点で、損害拡大に寄与したといわなければならない。

(三) うつぶせ寝によるSIDS発生の危険性を看過した過失

仮に、本件事故の発生原因が被告ら主張のとおりニアミスSIDSによるものであったとしても、同事故当時、既に我が国の内外において、乳児に対するうつぶせ寝がSIDSあるいはニアミスSIDSを発生させやすくするとの有意の関連性が指摘されていたから、国立大学の医学部附属病院として我が国でも最高の医療水準にあるべき神大病院内に設置された本件保育所にあっては、保母らは、当然、うつぶせ寝保育がニアミスSIDS等を発生させやすい危険な保育方法であることを知るべきであったにもかかわらず、右危険性を看過し、亡和彦に対し漫然とうつぶせ寝保育を実施したのであるから、この点において過失があるといわなければならない。

(被告らの主張)

(一) うつぶせ寝の相当性と保母の注意義務の内容

(1) 本件保育所においては、昭和四七年八月末頃から、乳児に対してうつぶせ寝を実施しているが、これは、眠りにくい又は眠りの浅い乳児のうち、首の座った乳児に限って、固めの布団の上にうつぶせ寝にするというものであり、また、最初にうつぶせ寝を実施する場合には保母がそばで様子を見ているし、常にうつぶせ寝ばかりをさせているのではなく、その子供の状況に応じた配慮をしているし、子供が慣れてきて、寝付いたのを見届けた場合には、保母が昼食や保育連絡日誌作成のためにわずかな時間に限って保育室を離れるということがあり得るにすぎない。

(2) そして、うつぶせ寝については、一般に、①授乳後の胃中空気が出やすい、排ガスが容易になる、②気道中に分泌物がたまることや吐いた物を気管に吸い込むことが少ない、③後頭部にあせもやおできができるのを予防できる、④首を挙げるなどの運動機能の発達を促進する、⑤安定した睡眠が得られるなどの利点があると考えられており、現在においてもこれを推奨する見解が少なくないうえ、アメリカではうつぶせ寝が一般的であるといわれている。

(3) 以上によると、うつぶせ寝は、保育の実践の中で一つの睡眠姿勢として広く是認されてきたものであり、しかも、前記のとおり亡和彦のように生後約三か月を経過した健康な乳児については、自力で頭顔部を挙上することができるとされているから、そのような乳児に対してうつぶせ寝を行う保母については、固めの布団を使用し、顔の周囲に鼻口部を閉塞するような危険物を置かないという注意義務が課せられているにすぎない。

そうすると、本件保育所の保母らが亡和彦をうつぶせ寝にするに際して使用した前記布団類の形状やその周囲の状況からすれば、保母らについて右注意義務を怠った過失があるとはいえない。

(4) また、保母らにおいては、本件事故当日午後一時頃から本件事故を発見した午後一時二五分頃までの間について、保育室内に在室しないわずかな時間帯があったことは事実であるが、前記のとおり約五分おきくらいには保育室へ行って亡和彦の異常の有無を確認しているのであるから、保母らが保育室内に常駐していなかったことをもって、亡和彦に対する監視を怠った過失があったとすることはできない。

そして、本件保育所は、いわゆる無認可保育所ではあるけれども、乳幼児数に対する保母数の割合、保母の研修、保母資格試験受験の奨励、保育施設の充実及び乳幼児の健康管理等の点で絶ゆまない努力が払われてきているのであって、保母らの日頃の保育態勢に問題があったとすることはできない。

(5) なお、原告らは、本件保育所の保母らが亡和彦に対してうつぶせ寝保育を行うにあたって原告らに対してその旨の説明を行い、同意を得るという手続を取らなかった旨主張するが、うつぶせ寝自体は、前記のとおり危険を伴う睡眠姿勢ではない以上、保護者に対して説明を行い、その同意を得るというような手続を経なければ、実施してはならないというような性質の保育内容ではない。

現に、保母らは、本件事故前から、亡和彦が寝付きにくいような場合にはうつぶせ寝にしてきたのであり、その際には何ら異常な事態は発生しなかったのである。

のみならず、原告和子は、本件事故前から、授乳のために保育室に入った際、保母らが亡和彦に対してうつぶせ寝を行っていることを目撃し、また、保母との間の保育連絡日誌の記載内容から右事実を知っていたにもかかわらず、保母らに対し、うつぶせ寝について説明を求めたり、異議を申し述べたことは一度もなかったから、原告らの右主張は理由がない。

(二) 本件事故発生後の応急措置の相当性

土本保母は、本件事故当日午後一時二五分頃、亡和彦の右頬が青ざめていることを発見したため、異常を感じ、直ちに同人を抱き上げて保母室へ走って行き、さらに、同室に在室していた森保母は、土本保母から亡和彦を受け取って神大病院小児科外来へ連れて行き、午後一時二九分頃には同科横山医師による手当てがなされるに至ったのである。

右経過によると、本件保育所の保母らは、亡和彦の異常を発見した後、わずか五分以内で小児科の専門医師の手当てを受けさせ、蘇生に成功したのであるから、保母らの右応急措置は極めて適切なものであって、何ら過失はない。

(三) うつぶせ寝とSIDSの関連性

原告らは、本件事故当時、既に我が国の内外において乳児に対するうつぶせ寝がSIDSあるいはニアミスSIDSを発生させやすくするとの有意の関連性が指摘されていた旨主張するが、本件事故当時はもちろん、現在に至るまでの間、ニアミスSIDS等の発生原因については未だ医学的解明がなされておらず、睡眠時の体位が何らかの影響を及ぼしており、うつぶせ寝にした場合には右発生率が高くなるとするような疫学的証明は全くなされていないのであるから、うつぶせ寝とニアミスSIDS等の間に有意の関連性があるとする原告らの主張は理由がない。

本件事故は、前記のとおりニアミスSIDSによって発生した可能性が極めて高く、不可抗力によるものというほかない。

3  被告組合の責任

(原告らの主張)

(一) 本件保育所は、被告国が神大に勤務する教職員の福利厚生等を目的として、昭和四四年二月一日、被告組合に対して保育所開設のために使用を許可した施設(国有財産)であり、被告組合は、被告国からの委任に基づき、同保育所の管理運営を行ってきている。

(二) なお、被告組合は、本件保育所は被告組合とは別組織である「保育所運営委員会」(以下「運営委員会」という。)が管理運営に当たっており、被告国から右使用許可を受けたのも「運営委員会」であった旨主張するが、同委員会とその前身ともいうべき「神戸大学教職員組合保育所をつくる会」(以下「つくる会」という。)及びその後の「神戸大学教職員組合保育所を育てる会」(以下「育てる会」という。)は、被告組合の内部において本件保育所運営の日常業務を担当する一委員会にすぎないのであって、同保育所の予算及び決算は被告組合の総会で決議、承認され、同委員会の行った日常業務についても同総会で報告、承認されるようになっており、しかも、被告組合が同保育所運営経費を負担している事実からすると、被告組合自身が本件保育所の管理運営を行っていることは明らかであり、被告組合の右主張は理由がない。

(三) そして、被告組合は、同保育所に勤務する保母らの選任監督にあたっていたから、民法七一五条二項に基づき、代理監督者として、原告らが保母らの過失によって被った損害を賠償すべき責任がある。

(被告組合の反論)

(一) 本件保育所開設の経緯

(1) 被告組合では、婦人部を中心に、神大病院に勤務する看護婦らのために保育所開設を求める運動が強くなり、昭和四二年一二月には、中央執行委員会の諮問機関及び専門部的性格を有する「つくる会」が設置され、同会が保育所開設を求めて神大当局との間で折衝を行った。

(2) そして、被告組合中央執行委員長と神大当局の間で、昭和四三年一二月一六日、「授乳所の利用に関する覚書」が締結されるに至り、その結果、神大病院において、「授乳所」設置という名目のもとで「保育所」が設置されることになった。

それに伴い、「つくる会」は、その目的を達したとして解消することになり、被告組合の内外に参加を求め、新たに会員約一〇〇名が参加して「育てる会」が発足し、昭和四四年二月一日、被告国は、被告組合中央執行委員長及び「育てる会」会長宛てに本件保育所の建物(国有財産)について使用を許可した(以下「本件使用許可」という。)。

(3) その際、被告組合中央執行委員長が名宛人とされたのは、同委員長が前記覚書締結の経過から欠かせなかったからであり、また、「育てる会」会長が名宛人とされたのは、「つくる会」が既に解消されていたし、本件保育所の管理運営を行うべき「運営委員会」が右時点では後記のとおり未だ発足していなかったからにすぎない。

(二) 「運営委員会」による管理運営の実情

(1) 「運営委員会」は、昭和四四年五月二日、被告組合中央執行委員会代表二名、「育てる会」代表二名、保護者代表二名及び保母代表二名が参加して発足したが、右構成員が示すとおり被告組合の組合員以外の者が参加しており、被告組合とは別個独立のいわゆる権利能力なき社団であると考えられる。

そして、「運営委員会」は、本件保育所の管理運営に関し、保育所規約の制定、保母の採用及び就業規則の制定、保育料の決定、入・退所児の決定及び承認、保育所運営の年間計画の作定及び前年度の総括、保育内容の向上や保母の資質向上等必要事項の検討を行い、また、財政面でも、被告組合の内外から資金を集めることで何とか経営を成り立たせているのである。

(2) たしかに被告組合は、「運営委員会」に対し、被告組合中央執行委員会代表二名を派遣し、本件保育所に対し毎年援助金を支出しているが、同保育所は、前記のとおり被告組合の組合員に限定されないで利用できる共同保育所としての性格を有するものであって、その管理運営は被告組合ではなく、被告組合の内外の参加者が組織する「運営委員会」が行っているといわなければならない。

なお、本件保育所開設当初は、同保育所の予算及び決算、経過報告が被告組合の総会の決議事項とされてきたが、昭和五〇年以降は右決議事項から外されるに至っているし、また、その後、被告組合に対しては、「運営委員会」から文書による報告すらされなくなっている。

(3) 以上によると、本件保育所の管理運営主体は、被告組合ではなく、「運営委員会」であり、保母の選任監督も同委員会が行っているのであるから、被告組合が保母の行為について監督上の責任を負うことはない。

(三) 以上によると、被告組合は、本件保育所の管理運営の主体ではないし、また、保母らに過失が認められない以上、本件事故の発生について責任を負うことはない。

4  被告国の責任

(原告らの主張)

(一) 国家賠償法二条に基づく営造物責任

(1) 本件保育所の建物は、被告国が所有する国有財産であるところ、被告国は、①神大に勤務する教職員の福利厚生等を目的として、被告組合が使用を開始する前に自ら同建物を保育所施設としての整備を行ったこと、②本件保育所の保母らの一部を臨時用務員として任用していること、③本件保育所の運営経費を一部負担していること、④本件保育所が神大に勤務する教職員の福利厚生施設であることを外部に公表している。

これらの事情等からすると、本件保育所が被告国の設置管理する「公の営造物」であることは明らかである。

(2) そして、被告国は、本件保育所の建物が乳幼児を保育する保育所として使用されるものであることを知ったうえで前記整備を行ったのであるから、建物の構造上、保母室から保育室を直接見通せる構造にして、保母らが常に乳幼児の動静を見ることができ、その様子の変化を迅速に知り得る状況を確保して、事故の発生を未然に防止すべきであったにもかかわらず、第一保育所では前記のとおり保母室と保育室は壁で仕切られていて、保母室から保育室を直接見通せる構造になっていなかったため、保母らによる亡和彦の容体の変化の発見を遅れせしめたのであるから、保育所としての安全性に瑕疵があったといわなければならない。

(3) そうすると、本件事故は、被告国が設置管理する公の営造物である本件保育所の構造上の瑕疵に基づいて発生したということができるから、被告国は、国家賠償法二条に基づく営造物責任を免れない。

(二) 債務不履行責任

被告国は、原告らとの間で、亡和彦の保育を引き受ける旨の契約を締結したところ、右保育の履行にあたった保母らの前記行為によって本件事故を生じさせたのであるから、民法四一五条に基づく債務不履行責任を負う。

(三) 使用者責任

仮に、以上の主張が認められないとしても、被告国は、本件保育所の保母らの人件費を負担するなどして雇用していたから、保母らが亡和彦に対する保育中に前記過失によって惹起した本件事故について、民法七一五条一項に基づく使用者責任を免れない。

(被告国の反論)

(一) 国家賠償法二条に基づく営造物責任

(1) 被告国が被告組合に対して本件保育所の建物について本件使用許可を与えたのは、あくまで同建物を授乳所として使用させる目的からであって、被告組合によるその後の保育所としての開設、使用はあくまで被告組合が主体として行ったものであり、本件保育所の建物が保育所施設として開設、使用されるに至ったことについては被告国は全く関与していないのであるから、本件保育所の保育所施設が被告国の設置管理する営造物であるとは認められない。

また、「公の営造物」といえるためには、国又は地方公共団体が「直接に」公の目的に供用していることが必要であると解されるが、被告国は、前記のとおり本件保育所の建物を被告組合に対して使用を許可したにすぎず、直接に保育所施設とする目的で供用したことはないから、本件保育所の保育所施設は営造物には該当しない。

原告らは、この点につき、原告らの主張(一)(1)掲記の①ないし④の各事情を指摘するが、右①ないし③は、その内容及び金額等に照らし、いずれも被告国が被告組合に対しその強い要請を受けて一定の物質的ないし金銭的補助をしたというにとどまり、保母らの採用等には全く関与していないし、また、④については、被告国が本件保育所を神大に勤務する教職員の福利厚生施設と位置付けたうえでこれを公表したことは一度もないから、右各事情をもって、本件保育所の保育所施設が被告国の設置管理する営造物であるとすることはできない。

(2) また、「公の営造物の設置管理の瑕疵」とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態をいうと解されているところ、認可保育所に関する最低基準を定めた「児童福祉施設最低基準」(昭和二三年厚生省令第六三号)のみならず、本件事故後に無認可保育所の施設改善のための指導基準を定めた「無認可保育施設に対する指導監督の実施について」(昭和五六年七月二日厚生省児童家庭局長通知)やさらにこれを徹底、強化するために発せられた「無認可保育施設に対する指導監督の徹底について」(昭和六一年四月二三日同局母子福祉課長通知)及び「無認可保育施設に対する指導監督の強化について」(平成元年六月一九日同課長通知)のいずれによっても、保育所の構造について、保母室から保育室を直接見通せる構造にすべきことは要求されていないのであるから、本件保育所が右のような構造になっていなかったことをもって瑕疵に当たるとすることはできない。

原告らは、この点につき、「改訂保育所保育要領」(全国保母会編・昭和五二年一一月一〇日発行)が「年齢に応じた保健面の配慮」の項において零歳児に関する睡眠中の注意として、「常に寝ている状態が保母から見えるようにし、異常を発見したらすぐに対処する。」と記載していることを指摘して、本件保育所の保育室が保母室から直接見通せる状態になっていないことが瑕疵であるとしているが、右記載は、あくまで保母に対する行為規範を定めたものにすぎず、同要領中の施設及び設備等の構造に関する項では何ら右のような構造にすべき旨を記載していないのであるから、右要領の記載部分をもって、原告らの前記主張を裏付けるとすることはできない。

(3) そもそも、保母らが保育室内に常時在室するか、適正に巡回するなどして乳幼児の様子を監視するということさえ遵守されているならば、不慮の事故の発生を防止できるのであるから、そうした事故の発生の問題は、保育所としての使用方法及び保母らによる保育の在り方の問題であって、保育所の構造自体の問題ではないというべきである。

(二) 債務不履行責任

本件保育所を開設し、これを管理運営する主体が被告国ではなく、被告組合であることは前記のとおりであり、原告らと被告国の間で亡和彦の保育について契約が成立したことはないから、右契約の存在を前提とする原告らの主張は理由がない。

(三) 使用者責任

(1) 本件事故当日、第一保育所において保育を行っていた保母は、土本、稲田、森及び佐藤の四名の保母であったところ、そのうち、被告国が神大病院の臨時用務員として任用し、人件費の補助をしていたのは佐藤保母及び森保母の二名にすぎない。そして、右両名の保母についても、その採用や勤務条件等はすべて被告組合が決定していたから、被告国は、右両名の保母に対して実質的な指揮監督権限を有しておらず、使用者としての地位にはなかったといわなければならない。

(2) また、本件事故の発生について、右四名の保母に過失があったとは認められないことは前記のとおりである。

とりわけ、佐藤保母については、本件事故当日午後、うつぶせ寝にされていた亡和彦をあお向けにして寝かせた後、昼食のために外出しており、その不在中に本件事故が発生したのであるから、同保母には原告ら主張の注意義務違反の事実が全く存在しないし、また、森保母については、右当日、全く亡和彦を担当しておらず、他の組の零歳児の保育のみに当たっていたから、森保母には亡和彦を担当していた土本及び稲田両保母をさしおいてまで、亡和彦のうつぶせ寝を回避したり、巡回して同人を監視したりすべき注意義務があったとすることはできない。

(3) したがって、被告国は、本件保育所の保母らの使用者ではないし、また、保母らに過失があったとは認められない以上、使用者責任を負うことはない。

第三  当裁判所の判断

一  本件事故の発生原因

1  原告らは、本件事故は当時首の座っていなかった亡和彦がうつぶせ寝によって鼻口部を閉塞され、機械的窒息に陥ったために生じたものである旨主張するのに対し、被告らは、右主張を争い、本件事故はニアミスSIDSによって生じた可能性が極めて高い旨反論している。

2  そこで、まず、本件事故の発生原因について検討する。

(一) 亡和彦の発育状況と首の座り

(1) 前記判示の事実と証拠(甲一六、四九号証、乙一四、一五号証、検甲一ないし三号証、証人土本富佐江、同稲田繁美、同森弘子、同佐藤扶美枝の各証言及び原告片岡和子の本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

ア 原告和子(当時満二三歳)は、昭和五一年一月二〇日、第一子として亡和彦を出産(なお、出産予定日は同月一日頃とされており、四三週目での出産。)したが、分娩は正常であり、亡和彦は、出生時の体重が三六〇〇グラムであり、健康体であった。

イ 亡和彦は、母乳で育てられ、睡眠及び食欲が良好であり、同年二月中旬頃には、本件保育所入所のため、神大病院小児科外来で健康診断を受けたが、異常なところは認められず、順調に発育しており(体重四八〇〇グラム、身長五四センチメートル)、原告和子の産休が明けた同年三月三日から本件保育所の第一保育所に入所した。

ウ 土本保母は、ひよこ組に属することになった亡和彦を担当し、同人の出生後二か月くらいにあたる同年三月中・下旬頃から、同人に対し日光浴、乾布摩擦等を行うようになったが、その際、同人の胸元や両手を持って前向きに抱いたとき及び腹這いにさせたときの首の様子から、同月齢の他の乳児と比べ、首がかなりしっかりしているように感じていた。

エ そこで、土本保母は、原告和子が以前から亡和彦を前向きに「抱っこ」して連れてきていたため、同原告に対し、亡和彦の場合は首がしっかりしているから、「おんぶ」して連れてきても大丈夫である旨を話したことがあった。これに対し、原告和子は、同年四月九日(雨天)頃、亡和彦を「おんぶ」して連れて行き、翌一〇日頃も同様にして連れて行った。

オ ところで、本件保育所の保母らは、昭和四七、八年頃、寝付きの悪い乳児に対しうつぶせ寝を行ったところ、良く眠るようになったことがあったため、これを有効な睡眠姿勢と認め、右以降、寝付きの悪い乳児や眠りの浅い乳児に対してその状況に応じて適宜うつぶせ寝を行うようになり、そうした中で、亡和彦に対しても、前記のような首の座り具合に応じ、昭和五一年四月初旬頃にはうつぶせ寝を行っていた。

(2) また、証拠(甲三五、三七、四〇、四一、四三、六〇、六二号証、乙一五、一八、三〇、三一、四〇号証、証人横山純好、同吉野邦夫の各証言、本件鑑定人谷栄一及び同宮田雄祐による各鑑定結果)及び弁論の全趣旨によると、次の各事実が認められる。

ア 厚生省は、昭和五六年から特別班を組織して、「乳幼児突然死症候群(SIDS)」に関して研究を行ったが、昭和五八年度の報告書では、SIDSの診断基準の留意事項として、状況判断について、「乳幼児でも、単なるうつ伏せ寝で、鼻口部閉塞による窒息死が起こるとは考え難いので、うつ伏せ寝による窒息という判定は、慎重に行うべきである」と指摘している(乙三〇号証)。

イ そして、本件について、鑑定人谷栄一は、「生後八三日目の健康児がふとんの上でうつぶせに眠った時に窒息という状態が発生するかどうかが、本患者の無酸素性脳症の原因が窒息か乳幼児突然死かの鑑別点の重要な問題点になる」と指摘している。

宮田鑑定人は、「乳幼児の運動能力の発育から乳幼児がうつぶせ寝によって窒息するという可能性は、今日では広く否定的である。しかし、果たして医学的にこれは完全に否定しうるかと云うことになると、乳幼児の呼吸様式を考慮すると、条件によっては、うつぶせ寝によって、窒息死する可能性はあるものと考えざるを得ない」と指摘している。

また、神大病院小児科において主治医として亡和彦の治療にあたった横山医師は、一般的に、「生後二か月半ぐらいになれば、窒息というのは非常に少ないと言われている」との認識を持っており、右当時、亡和彦のカルテに「SIDSの疑」との記載をしている(乙一五号証)。

さらに、国立鳥取大学医学部附属病院において主治医となった大野耕策医師は、本件事故の発生原因に関し、「三か月になろうという児がうつぶせで首を横にできないなどとは考えにくい」との考えを持ち、その旨をカルテに記載している(甲三五号証)。

ウ そして、一般的な乳児の運動機能の発達状況については、文献上、次のような指摘がされている。

① 正常な小児を腹臥位に置いた場合、瞬間的に頭部を回旋位で背屈する動作は新生児期でも見られるが、正面位で頭部を持続的に持ち上げることは二か月半頃から増加し、四ないし五か月でほぼ全例が可能になる(甲四一号証。昭和五二年発行)。

② 正常乳児を腹臥位の姿勢にした場合、首を持続的に背屈するようになるのは、日齢三〇日―五九日の間で認められるようになり、九〇日以降では過半数に認められ、また、肘で身体を保持する機能も日齢九〇日頃より始まる(甲四〇号証。昭和五二年発行)。

③ 乳児は、生後一か月で寝ていて自由に顔を左右に向け、うつぶせ位では顔を一方に向けることができ、ときに正中位で瞬間的に顔を挙げることができる。二か月でうつぶせ位で顔を瞬間的に挙げる。三か月でうつぶせ位で顔をベッドより四五度くらいまで挙上する(乙一八号証。昭和五五年発行)。

④ 一か月…寝ている時、自由に顔を左右に向け、仰伏位で短時間頭を拳上できる。

二か月…うつぶせ位で頭を短時間挙上できる。

三か月…うつぶせ位で頭を三〇度以上挙上できる(乙三一号証。昭和六一年発行)。

⑤ 乳児の首が座ったというのは、自分で首を自由に保持でき、目的に合った運動ができるようになった状態をいうが、正確には、腹這いの姿勢で、首を胸まで挙げて二〇―三〇秒はその姿勢でいることができれば、首が座ったといっており、早い乳児では三か月、たいていの乳児では四か月で首が座る(甲三七号証)。

⑥ 昭和五五年乳幼児身体発育値の運動機能の調査結果では、首の座りは二か月ごろから見られ、三か月を少し過ぎると五〇パーセント、四か月を少し過ぎると九〇パーセントに認められている(甲六二号証。平成元年発行)。

⑦ 一般的には、生後三か月くらいで首が座るといわれているが、これはあお向けに寝ている日本の赤ちゃんの平均値であり、うつぶせ寝を積極的に取り入れることで、半月くらい早くなるようである(乙四〇号証。平成元年初版)。

⑧ 健康に育っている乳児ならば、生後二か月で既に顔をベッドの上に自ら挙げることができるし、三か月ともなれば、ベッドから顔を離し、上半身で腕を支えて脚を十分に伸ばすなどの運動ができるようになる。また、毛布や敷布団などで鼻口がふさがれ、窒息するのかどうかの問題も、三か月もたてば、乳児はこの圧迫から免れようと防衛のための動作をする(甲六〇号証。平成二年発行)。

(3) 以上の事実関係を総合して考えると、亡和彦は、本件事故当日において、生後八三日目(前記出産予定日に基づく修正月齢は約一〇〇日目になる。)の健康児であり、同人の右月齢、本件保育所での保育状況及び正常な乳児の一般的な運動機能の発達状況等によると、ある程度しっかりと首が座った状態にあったと認められる。

(二) 本件事故当日における寝具の形状及び発見時の状況

(1) まず、亡和彦が本件事故当日午後一時五分頃以降保育室A内において土本保母によってうつぶせ寝にされ、その後二度にわたって泣き出し、稲田保母がその都度様子を見に行った後、午後一時二五分頃土本保母によってうつぶせ寝のまま仮死状態で発見されたことは、前記判示のとおりである。

(2) 次に、前記判示の事実と証拠(甲四九号証、検甲四号証、証人土本富佐江、同稲田繁美、同森弘子、同佐藤扶美枝、同横山純好の各証言、原告片岡和子の本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

ア 本件保育所の保母らは、前記のとおり昭和四七、八年頃からうつぶせ寝保育を実施するようになったが、乳児をうつぶせにして寝かせる場合の注意点として、ふかふかした布団に寝かせると、顔が沈んでしまうため、そのような布団を避けるようにしようと話し合っており、保護者が本件保育所の入所に際して子供のためにと持参してくるふかふかした寝具はうつぶせ寝用に使用しないように配慮していた。

イ 原告らは、亡和彦の右入所に際し、新品の厚めの敷布団(化繊製で、厚さは一〇センチメートル弱。)と毛布、タオルを持参したが、保母らにおいては、日頃から、乳児の保護者の持参した布団類を当該乳幼児のものと固定して使用するのではなく、保育室内にある布団類をそのときどきの保育内容に応じ、適宜、各乳児に使用しており、亡和彦に対しても、原告らの持参した右寝具以外のものが使用されることがあり、原告和子においても右事情は知っていた。

ウ そして、土本保母は、本件事故当日午後零時半過ぎ頃、稲田保母が亡和彦を散歩のために外へ連れ出している間、保育室A内の南東角の押入れ前の位置に、亡和彦を寝かせる準備を行い、他の乳児(訴外田村暁子)の保護者が以前持参した敷布団を床(ピータイル張り)の上に敷き、その上に洋タオル一本を二つ折りにして枕代わりとし、ガーゼの肌かけ布団一枚と薄い毛布一枚を身体の上にかける寝具として用意したが、右敷布団は、かなりの長期間にわたって使用されてきたものであった。

エ 亡和彦は、散歩から帰った後、午後零時四五分頃、稲田保母によってうつぶせ寝にされたが、寝付きが悪く、佐藤保母によっていったんあお向けに寝かされた後、午後一時少し過ぎ頃、土本保母によって再びうつぶせ寝にされた。

オ 稲田保母は、午後一時一五分頃、保育室A内で泣いている亡和彦のおしめの様子を調べた際、同人は首を左右に動かしており、枕代わりになっていた洋タオルに特に乱れた様子はなかった。

カ そして、土本保母は、午後一時二五分頃、うつぶせ寝のままで仮死状態にあった亡和彦を発見して抱き上げ、その際、右頬が青ざめており、下になっていた左頬には洋タオルの生地のつぶつぶのような跡が付いているのを発見したが、同人の顔の周辺に物が置かれていることはなく、吐乳した様子も認めなかった。

キ なお、神大病院小児科外来の横山医師は、午後一時三〇分頃から、亡和彦の蘇生のための手当てを行ったが、同人の外見上、チアノーゼがみられ、人工呼吸と心臓マッサージを行った際に胃から一〇CC程度の吐乳があった程度であり、それ以外の格別の異常を認めなかった。

(3) 以上の事実関係を総合して考えると、本件事故当時、亡和彦の顔面周辺には鼻口部周辺を閉塞するおそれのあるようなふかふかした寝具やその他の物が存在した事実を認めるには至らないといわざるを得ない。

(三) ニアミスSIDSの可能性

(1) SIDS及びニアミスSIDSの定義と原因論等

まず、証拠(甲三八、三九、四三、六〇、六一、七一号証、乙八、一八号証、二〇及び二三号証の各一・二、二四、二八、三〇、三一号証、三三ないし三七号証、四〇、四一号証、四三ないし四五号証、証人宮田雄祐、同建田恭一の各証言、鑑定人宮田雄祐の鑑定結果)及び弁論の全趣旨によると、次の各事実が認められる。

ア 乳幼児のいわゆる突然死については、昭和三八年及び昭和四四年にシアトルで開催された国際会議等を契機として注目されるようになり、我が国の内外において調査、研究が進められてきたが、現在では、一般的に、広義のSIDSは、「それまでの健康状態及び既往歴から、その死亡が予測できなかった乳幼児に、突然の死をもたらした症候群」、狭義のSIDSは、「それまでの健康状態及び既往歴からは、全く予測できず、しかも剖検によってもその原因が不詳である、乳幼児に突然の死をもたらした症候群」と定義され、また、ニアミスSIDSは、「それまでの健康状態及び既往歴から、その発生が予測できなかった乳幼児が、突然の死亡をもたらし得るような徐脈、不整脈、無呼吸、チアノーゼなどの状態で発見され、死に至らなかった症例」と定義されている。

イ そして、狭義のSIDSの原因については、従前から様々な見解が唱えられており、呼吸機能障害説、循環機能障害説、アレルギー症説、内分泌・代謝不全説、自律神経機能不均衡説、免疫不全説等があるが、最近では、乳幼児の呼吸機能の未熟性に関係する睡眠時の呼吸不全ないし低酸素状態が原因ではないかとする見解が有力となっているものの、なお仮説の域を出ておらず、未だに定説がなく、右原因についての医学的解明はなされていない。

ウ そのため、既往歴及び発見時の状況から判断して原因が明らかである場合は別として、既往歴がなく、発見時の状況や剖検による肉眼的ないし組織学的所見によっても、急死としての共通の所見程度しか得られないような場合には、機械的窒息等の外因死か、SIDSかの診断が困難になる場合が多いとされている。

エ また、SIDS及びニアミスSIDSは、世界的な統計上、生後二ないし四か月くらいの乳児(男児がやや多い。)に好発しており、睡眠時に発生することが多いとされている。

(2) 宮田鑑定人の鑑定結果の検討

ア 次に、証拠(証人宮田雄祐の証言、鑑定人宮田雄祐による鑑定結果)によると、宮田鑑定人は、本件事故の発生原因につき、亡和彦が蘇生後約一年間にわたって呼吸機能及び心機能に異常がみられずに生存していたことから、これら機能については基礎的疾患が存在しなかったと考えられること、ニァミスSIDSにおいては、健康体に戻るのが通常であり、同人の場合のように心停止にまで至って重篤な後遺障害を残すことは稀であること、本件事故当時、寝具や枕が柔らかいものであったり、シーツにたるみがあったり、長い袖のある服を着ていたりすれば、鼻口部を閉塞された可能性を完全には否定しきれないとして、結論として、「本件事故の原因は、機械的窒息であるとも、あるいはニアミスSIDSであるとも確定し得ないが、ニアミスSIDSの病態には十分には合致せず、うつぶせ寝に関連する窒息の可能性も否定し得ない」旨鑑定していることが認められる。

イ① そこで、右鑑定結果について検討するに、右証拠によると、宮田鑑定人は、ニアミスSIDSの場合には、呼吸機能の基礎的疾患に基づいて無呼吸発作の反復のみられることが一つの重要な特徴であると考えていることが認められ、また、証拠(甲五一〔添付資料を含む。以下同じ。〕、七三号証、乙二四号証)によると、たしかに、ニアミスSIDSと診断された乳児は、その後も引き続き睡眠時等に無呼吸状態になる例がかなり多いことが認められる。

しかしながら、一方、右各証拠を検討すると、ニアミスSIDSと診断された乳児の中には、その後無呼吸状態が発生したとの事実が認められない例も一部ではあれ存在することが認められる。

のみならず、本件において、そもそも亡和彦が神大病院での治療によって蘇生した後無呼吸状態になったことがなかったのかどうかについて検討してみると、証拠(乙一四、一五号証、証人横山純好、同建田恭一の各証言及び鑑定人谷栄一の鑑定結果)によると、横山医師は、本件事故当日(昭和五一年四月一三日)午後一時三〇分頃から、呼吸停止及び心停止の状態にあった亡和彦に対し、直ちに、蘇生のため、マウストゥマウスの方法による人工呼吸及び気管内挿管を行い、心臓内にボスミンを注射した結果、午後一時五〇分頃には自発呼吸が戻るようになり、さらに、酸素バード(テント)等によって酸素投与を続けたこと、亡和彦は、その後も呼吸が速く、喘鳴音が続いたり、同月一七日午後には再びチアノーゼが現れたり、また、同月二〇日以降、数回にわたって、装着されていたモニターが警報を鳴らす状態となり(同月二四日早朝には、警報時に一〇秒間の無呼吸発作が発生。)、酸素バードを外すと、唇色が不良になるようなことがあったりしたこと、そして、亡和彦は、同月二二日に気管内挿管を外されたが、その後もしばらくの間酸素バードの中に置かれたことが認められる。

右認定の事実関係によると、亡和彦については、神大病院入院中において無呼吸状態が発生しなかったとまでは断定し得ず、むしろ同病院での適切な治療によって重篤な無呼吸状態に陥ることが防止されていたと考えるのが相当であるから、これによると、亡和彦について無呼吸発作の反復がみられないことを前提として、同人の病態がニアミスSIDSの前記特徴に合致しないとすることは妥当でないといわなければならない。

② 次に、宮田鑑定人がニアミスSIDSの場合には、健康体に戻るのが通常であり、心停止にまで至って重篤な後遺障害を残すことは稀であるとしている点について検討するに、たしかに、証拠(甲五一、七三号証、乙二四号証)によると、ニアミスSIDSと診断された乳児については、後遺障害を残さずに、正常な健康体に戻る例の多いことが認められる。

しかしながら、前記判示のニアミスSIDSの一般的な定義によると、「健康体に戻る」ということ自体はその要件とされていないことは明らかである。

そして、証拠(乙二〇号証の一・二、二四、三三、三七号証、三九号証の一・二、四五号証、証人建田恭一の証言)によると、ニアミスSIDSの定義として、「呼吸停止や心停止の状態にあるのをすばやく発見され、その後の検査によっても原因となる器質的な異常が見出されなかったもの」とする見解があり(乙三三、三七号証)、右のような定義では「心停止」に至って蘇生した例も当然ニアミスSIDSに含まれることになること、また、ニアミスSIDSが狭義のSIDSと同様の機序によって発生するのかどうかに関し、ニアミスSIDSの経過中に心停止を来して死亡する例がある一方、治療がうまく行かなければ確実に死亡したと考えられるところを蘇生に成功し、健康体に戻ったという例もあることから、両者は同一の機序によると考えた方が妥当であるとする見解があること(乙二〇号証の一・二、二四号証〔五〇七頁以下〕)、そして、オーストラリアのコンスタンチノーは、一四名のニアミスSIDSの症例について、生存者七名中六名が四肢麻痺等の重い後遺障害を残した旨を報告していること(乙三九号証の一・二)が認められる。

右認定の事実関係によると、亡和彦が心停止にまで至ったことや重篤な後遺障害を残したことをとらえて直ちにニアミスSIDSの特徴に合致しないとすることは相当でないといわなければならない。

③ さらに、本件事故当時における亡和彦の寝具の形状については、前記(二)で認定説示したとおり、同人の鼻口部を閉塞するようなものであったとは認められないし、また、同人の当日の衣服の詳細については、本件証拠上、これを明らかにするに足りる的確な証拠は存在しない。

ウ 以上のようにみてくると、宮田鑑定人が本件事故の発生原因につき亡和彦の臨床症状がニアミスSIDSの病態には十分には合致しないとして、機械的窒息の可能性を示唆したところの根拠はいずれも必ずしも十分なものではないといわざるを得ない。

(3) そうすると、本件事故は、前記認定説示にかかるニアミスSIDSの定義、好発月齢や特徴等に照らすと、ニアミスSIDSによって発生した可能性が十分認められるといわなければならない。

(四) 前記(一)ないし(三)で判示した亡和彦の発育状況と首の座り、本件事故当日における寝具の形状と発見及び手当て時の状況、さらにニアミスSIDSの可能性が十分考えられることなどに基づくと、本件事故は、寝具等によって鼻口部が閉塞されたために、又は、吐乳を誤って吸収したために、機械的窒息に陥って生じたと認めることは困難であるといわなければならず、そして、他に右事実を認めるに足りるだけの的確な証拠は存在しない。

二  被告組合の責任

1  本件保育所の保母らの過失の有無

次に、原告らが主張する本件保育所の保母らの過失の有無について、順次検討する。

(一) うつぶせ寝によって機械的窒息に陥らせた過失

(1) 原告らは、まず、亡和彦にはうつぶせ寝を行うために必要な条件が具備されていなかったにもかかわらず、保母らが亡和彦をうつぶせ寝状態のままでひとりにして放置した過失に基づいて、同人を鼻口部閉塞によって機械的窒息に陥らせた旨主張する。

しかしながら、本件事故の発生原因について、証拠上、それが原告ら主張のように機械的窒息によるものであるとは未だ認めるに至らないことは前記一でみたとおりであるから、亡和彦が機械的窒息に陥ったことを前提として、保母らの過失の有無を論ずることはできないといわなければならない。

(2) なお、本件保育所の保母らによる監視状況については、たしかに、前記判示の事実関係によると、本件事故発生の直前において、保母が保育室A内に数分間にわたって誰もいないという状態が数回生じたことは事実であるが、右不在の時間はそれぞれ数分間程度のことであり、外出した佐藤保母を除き、土本、稲田及び森の保母らは、いずれも保母室内や台所周辺にいて、亡和彦の泣き声がする都度、異常の有無を確認するために保育室Aに出向いていたのであり、さらに右保母室や台所と保育室Aとの位置関係等に照らして考えると、保母らが右のとおり保育室A内に在室していなかった事実だけをとらえて、監視義務を怠ったとすることはできないといわざるを得ない。

したがって、本件保育所の保母らが亡和彦に対する監視を怠ったとする原告らの主張は採用できない。

(二) 本件事故発生後の応急措置上の過失

次に、原告らは、保母らが直ちに亡和彦に対して蘇生術を行うか、あるいは医師のもとへ連れて行くべき注意義務を怠って、原告和子に連絡を取ることのみを優先させた過失によって、亡和彦の障害をより重篤なものにした旨主張する。

しかしながら、前記判示の事実関係によると、土本保母が亡和彦の異常を発見した後、同人を連れて保母室に赴き、森保母が亡和彦を神大病院小児科外来へ連れて行き、横山医師の手当てがなされるまでに要した時間は約五分間であったということができるところ、さらに、証拠(証人土本富佐江、同森弘子及び同横山純好の各証言)によると、神大病院小児科では、本件事故当日は午前中で外来診療を終えることになっていたため、森保母は、保母室前の電話で、まず同科外来に連絡を取って担当医師を確保しようとしたこと、そして、森保母は神大病院に連絡を果たさないまま同科外来に赴き、居合わせた横山医師が亡和彦の手当てをしたこと、同医師が右時刻において同科外来にいたのは、カルテの整理のために偶々残っていたことによるものであったこと、また、土本保母は、保母室に赴いて亡和彦の急変を森保母らに伝えた後、自ら亡和彦に対してマウストゥマウスによる人工呼吸を行おうとしたが、怖くてうまくできなかったことが認められる。

右事実に基づいて考えると、たしかに本件保育所の保母らは自らは亡和彦に対して人工呼吸等の適切な蘇生術を実施することができなかったけれども、神大病院がすぐ近くにあるため、専門家である医師のもとへ連れて行くことを最善の方法と考え、実際にも約五分間でこれを果たしたのであるから、保母らの採った右措置は不相当とはいえず、過失があったとすることはできないといわなければならない。

したがって、原告らの前記主張は採用できない。

(三) うつぶせ寝によるSIDS発生の危険性を看過した過失

(1) さらに、原告らは、本件事故当時、既に我が国の内外において、乳児に対するうつぶせ寝がSIDSを発生させやすくするとの有意の関連性が指摘されていたから、最高の医療水準にあるべき神大病院内に設置された本件保育所にあっては、保母らは、当然、うつぶせ寝保育がSIDSを発生させやすい危険な保育方法であることを知るべきであったにもかかわらず、右危険性を看過した過失がある旨主張する。

(2) そこで、検討するに、証拠(甲三八、三九、四二、四三、四五、五一、五四、五七号証、六〇ないし六四号証、六八、七〇、七一、七三、七四号証、乙二〇号証の一・二、二四、二八、四〇、四三号証、四六ないし四八号証、証人宮田雄祐、同建田恭一の各証言)及び弁論の全趣旨によると、次の各事実が認められる。

ア 乳幼児に対するうつぶせ寝については、古くから、使用する寝具等の関係から鼻口部が閉塞されて機械的窒息に陥り、急死する危険があると指摘されてきたが、その一方で、うつぶせ寝は、嘔吐や誤飲が少ない、首を挙げるなどの運動機能が発達する、頭の形が良くなる、良く眠る等の利点があると指摘されており、欧米では近年までうつぶせ寝が一般的であったし、また、現在でも、未熟児に対してはうつぶせ寝を行う病院が少なくない。

イ うつぶせ寝の危険性について、SIDSとの関連が明確に指摘されるようになったのは、最近のことであり、東洋人の乳児と比較した場合、欧米人の乳児についてSIDSの発症率が高いとされることなどから、うつぶせ寝にして育てることとの関連性が注目されるようになった。

この点について、太神和弘らは、腹臥位とSIDSの関連の可能性については、既に一九七〇年代からベイエスにより可能性が示唆されていたが、その関連が明かにされてきたのは比較的最近のことであり、昭和六三年のビールの報告に始まり、オランダ、香港、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア等の国において、SIDS症例においては睡眠時体位又は発見時体位として腹臥位が多いことが報告されているとしている(甲七〇号証。平成五年発行)。

ウ そして、うつぶせ寝がSIDSに関係しているとする主要な文献や、調査結果としては、以下のものがある。

① アメリカのベルグマンは、昭和四七年、三〇九名のSIDSの症例について調査を行い、死亡時の体位の八五パーセントがうつぶせ寝であったが、アメリカでは乳児をうつぶせ寝で寝かせるのが普通であるから、他国の報告と合わせてみないと何ともいえないとしている(甲三八号証、乙四三号証)。

② オランダでは、デ・ジョンらが昭和五七年から昭和六二年までの間にSIDSで死亡した一四二名のうち八五パーセントに当たる一二〇名がうつぶせ寝であったことを調査し、右事実を講演等で発表したところ、昭和六三年にはSIDSによる死亡率が四〇パーセント減少した旨発表している(甲六三号証、乙四三号証)。

③ イギリスでは、フレミングらが昭和六二年一一月から平成元年四月までの間にSIDSで死亡した七二名のうち六七名がうつぶせ寝であったことを調査し、発表している(前同)。

④ また、ニュージーランドやオーストラリアでも、平成三年頃、広範な調査に基づき、うつぶせ寝を中止する旨のキャンペーンを行った結果、SIDSの発症率が大幅に減少したとする報告がされている(甲五一号証中の資料⑳、乙四三号証)。

⑤ そして、アメリカでも、その後、ガンセロスが平成四年に米国医師会雑誌において、生後六か月以内の乳児をうつぶせ寝の状態にすることを回避するよう勧告し、オランダ、イギリス、オーストラリアやニュージーランドでのSIDS減少の報告に注目するよう提言している(甲五二号証)。

また、同年に発表されたタスク・フォース部会の報告書は、うつぶせ寝の姿勢が他の姿勢に比較してSIDS発生の危険が高いため、健康児を寝かせるときは横向き又はあお向けにするよう勧告している(甲七一号証)。

⑥ そして、我が国では、前記太神らは、昭和六二年一月から平成四年四月までの間に狭義のSIDSで死亡した乳児一四名について調査、検討し、そのうち一〇名が発見時腹臥位であり、九名が日頃から腹臥位で保育されていたことを報告している(甲七〇号証。平成五年発行)。

⑦ また、前記厚生省特別班の平成三年度報告書では、うつぶせ寝とSIDSの関係について、「なぜうつぶせ寝がSIDSに関与するのかはまだ不明であるが、高体温になりやすいこと、REM睡眠時の無呼吸、上気道の狭窄、吐物や柔らかいマットによる窒息、さらにポリエステルを入れたクッションによる反復呼吸による低酸素症などの理由が挙げられている」と指摘している(甲五一号証中の資料⑳。なお、甲四五号証参照)。

⑧ 仁志田博司は、うつぶせ寝については、呼吸循環にプラスの点があるけれども、児が良く寝る点と顔が見えない点が最も大きな問題であり、疫学的にもSIDSの症例が高いことに注意を払わなければならないと指摘している(乙四八号証。平成二年発行)。

(3) しかしながら、一方、証拠(甲七〇号証、乙二〇号証の一・二、三〇、三八、四〇号証、四三ないし四五号証、証人建田恭一の証言)及び弁論の全趣旨によると、以下のとおり、我が国では前記(2)でみた文献や調査結果とは合致しない見解や調査結果が少なからず存在している。

ア 本件証人建田は、うつぶせ寝とSIDSの関係について、発見時においてうつぶせ寝であった乳児が多いとの数値が発表されているが、あお向け寝で発見された例もあることから、SIDSがうつぶせ寝の乳児に起こりやすいという根拠は薄弱であると指摘しており(乙二〇号証の一・二。昭和五五年発行)、また、戸苅創は、うつぶせ寝が中心である欧米におけるSIDSの発症率の低さ等から、乳児にとってはうつぶせ寝でもあお向け寝でも適応できるから、うつぶせ寝であっても問題がないと指摘している(乙四〇、四三号証)。

イ 加藤稲子らは、SIDSの頻度は、うつぶせ寝とあお向け寝で有意差はないとする報告に対し、うつぶせ寝の頻度の減少に伴いSIDSの頻度も減少したという報告やうつぶせ寝、あお向け寝にかかわらず、咽喉障害を起こしやすい水平位が危険であるという報告などがあって、一定した見解は得られていないと指摘している(乙四五号証。平成三年発行)。

ウ① そして、前記厚生省特別班の昭和五八年度の報告書中には、神奈川県内で発生した七例のSIDSについて調査した結果、発見時の姿勢について、あお向け寝が三例、うつぶせ寝が三例及び横臥位が一例であったとする報告がある(乙三〇号証)。

② また、木部哲也らは、昭和五八年から昭和六二年までの間に愛知県下で発生した三一名のSIDSと一五名のニアミスSIDSの乳児について調査した結果、SIDSではうつぶせ寝が一一例、あお向け寝が八例、ニアミスSIDSではうつぶせ寝が三例、あお向け寝が六例であり、これらの結果に基づき、体位の差は余りないと報告している(乙四四号証。平成二年発行)。

③ さらに、渡辺登らは、平成二年において神奈川県下で発生した二七名の広義のSIDS(狭義のSIDSは一七名。)の乳児について調査した結果、そのうち睡眠中であった二〇名については、うつぶせ寝が九例、あお向け寝が八例であったところ、うつぶせ寝とあお向け寝の体位差はなかったと報告している(乙三八号証。平成四年発行)。

(4) 以上の事実関係を総合して考えると、うつぶせ寝とSIDSの関係については、我が国の内外において、昭和五七、五八年頃以降から始まった調査結果等に基づき、昭和六二年頃には、疫学的にみて、乳児をうつぶせ寝にした場合にはSIDSが発生しやすくなるのではないかとの知見が得られ、うつぶせ寝保育に対する危険性の指摘が顕著になってきたということができる。

しかしながら、右認定の事実関係に照らすと、うつぶせ寝がSIDSに関連するとする右知見については、反対の見解や調査結果が存在しており、しかも、SIDSの原因自体が前記のとおり未だ定説がなく、医学的解明がなされていないことからすると、現在においても医学的に確立された知見であるとまでは未だ認め難く、うつぶせ寝とSIDSとの関連性如何はなお今後の調査、研究を待つところが多いといわざるを得ない。

そして、本件事故は昭和五一年四月に発生したものであるところ、右認定説示に照らすと、本件事故当時においては、うつぶせ寝にした場合にはSIDSが発生しやすくなるとの知見が得られていたとは到底いえないから、仮に本件事故の発生原因がニアミスSIDSであったとしても、本件保育所の保母らが右当時亡和彦に対しうつぶせ寝保育を実施していたことをもって、ニアミスSIDSの発生の危険性を看過した過失があったとすることはできないといわなければならない。

したがって、原告らの前記主張は採用できない。

(四) 以上によると、本件保育所の保母らについて過失があったとする原告らの主張はすべて理由がないことに帰着する。

2  そうすると、原告らの被告組合に対する本訴請求は、本件保育所の管理運営主体の点を含めその余の点について判断するまでもなく、理由がないことになる。

三  被告国の責任

1  国家賠償法二条に基づく営造物責任

(一) 原告らは、本件保育所が被告国の設置管理する「公の営造物」であることを前提にして、第一保育所の建物の構造上、保母室と保育室が壁で仕切られていて、保母室から保育室を直接見通せる構造になっていなかったため、保母らによる亡和彦の容体の変化の発見を遅れせしめたから、保育所としての安全性に瑕疵があった旨主張する。

(二)(1) そこで、検討するに、第一保育所については、本件事故当時、保育室と保母室が壁で仕切られていて、保母室から保育室を直接見通せる構造になっていなかったことは前記判示のとおりである。

(2) ところで、「公の営造物の設置管理の瑕疵」とは、営造物が通常備えるべき安全性を欠くことをいうと解されているが、本件のような保育所に関しては、認可及び無認可保育所を問わず、法令及び通達上、保母室から保育室を直接見通すことができるような構造にすべきことを定めたものは見当たらない。

なお、甲六九号証(全国保母会編の「改訂保育所保育要領」・昭和五二年一一月一〇日発行)によると、年齢に応じた保健面の配慮の項では、零歳児に関する睡眠中の注意として、「常に寝ている状態が保母から見えるようにし、異常を発見したらすぐに対処する。」との記載が存在することが認められるが、同要領においては、施設及び設備等の構造に関する項では保母室から保育室を直接見通せるような構造にすべきことは記載されていないのであるから、前記記載部分だけをもって、保母室から保育室を直接見通すことができるような構造にすべきことが要求されていたと認めることはできない。

のみならず、本件事故の発生原因について、それが原告ら主張のように機械的窒息によるものとは未だ認められず、かえってニアミスSIDSの可能性が十分考えられることは前記判示のとおりであるし、また、本件事故当日、本件保育所の保母らが亡和彦に対しうつぶせ寝保育を行い、数分間にわたって保育室を空け、亡和彦をうつぶせ寝のままひとりにしておいたこと及び同事故発生後の応急措置のいずれについても、過失があったと認められないことは前記判示のとおりである。

(3) 以上によると、保母らの亡和彦に対する保育及び監視、応急措置のいずれについても不相当とされるべき点があったとは認められない以上、第一保育所の保育所としての構造が保母らの保育活動に支障を来すようなものであったとすることはできないから、同建物の構造が原告ら主張のように保母らの乳児に対する動静の常時確認の確保及び事故発生の防止の点において通常備えるべき安全性を欠いていたとまでは認められないといわざるを得ず、そして、他に第一保育所の構造が右安全性を欠いていたことを認めるに足りる証拠はない。

(三) そうすると、国家賠償法二条に基づく原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

2  債務不履行責任

次に、原告らは、被告国との間で亡和彦の保育を引き受ける旨の契約を締結していたが、右保育の履行にあたった保母らの不履行によって本件事故が発生した旨主張する。

しかしなから、本件全証拠を仔細に検討してみても、原告ら主張の保育引受契約が被告国との間で成立した事実を認めることはできない。

のみならず、これまでに判示したところによると、本件事故の発生について本件保育所の保母らに不履行があったとは認められないから、この点においても、原告らの右主張は理由がない。

そうすると、債務不履行責任に基づく原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

3  使用者責任

さらに、原告らは、被告国は本件保育所の保母らの人件費を負担するなどして雇用していたから、保母らが亡和彦に対する保育中に過失によって惹起した本件事故について使用者責任を負う旨主張する。

しかしながら、本件事故の発生について本件保育所の保母らに過失があったとは認められないことは既に判示したとおりである。

そうすると、使用者責任に基づく原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

4  以上によると、原告らの被告国に対する本訴請求は、すべて理由がないことに帰着する。

第四  結論

以上によると、原告らの被告らに対する本訴各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官横田勝年 裁判官永吉孝夫 裁判官安浪亮介は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官横田勝年)

別紙<省略>

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